天気の子
*以下は天気の子の感想ですので、鑑賞した後にご覧ください
キャラクターの造形、映像、音声、音楽・・・およそ一点を除けば、大変に満足できる出来映えの作品です。しかし、その一点が致命的で、それは作品の骨子であるシナリオなのです
何が描きたいのか、この場面は何を狙って設定されているのか、そのような意図は容易にくみ取ることができます。そうして、その目論みそれ自体は間違っていません。しかし、そこに至る過程や、場面の繋ぎ方などに雑さを感じました。とてもハッタリが効いていて手に汗握る展開の連続ではあるのですが、ところどころで首をかしげてしまうために、肝心の物語に没入することができないのです。これは、小説を読んでいて誤字を見つけた時の感覚に似ています。その瞬間に「物語」は輝きを失い「単なる文字記号の羅列」に戻ってしまうのです
一番それが顕著だったのは終盤、ラストスパートの部分ですね
まず警察署、それこそ警報を鳴らされて出入り口が封鎖され、それで終わりでしょう。何故そうならなかったのか、という理由づけが、偶然だとか幸運だとか、その程度のものしか用意されていません
特に意図しない通りすがりのライダーに助けられる、そんな展開が許されるのは、ご都合主義がもはや様式美になっている時代劇やスーパー戦隊、あるいは仮面ライダーくらいのものでしょう。夏美が主人公の窮地に意図して駆けつけたならまだしも、たまたま通りかかったというのでは、あまりに作者にとって都合がいい
その後のレールの上を走るシーン、これも部外者の立ち入りなので、作業員に咎められて終わりです。勝手に線路を走っている少年を、誰もが無視して拘束せず、上司にも報告しないだなんてあり得ません
その後の鳥居付近のシーンは、完全にご都合主義の塊ですね。そもそも何故、あの場所に須賀さんや凪が辿り着けたのか、まったく説明がありません。皆の力を借りて、助けを借りて、それを踏み台に主人公が何かをやり遂げる。それ自体はいい話なのですが、そこに至る準備が圧倒的に不足しています
最終的に、帆高が世界よりも陽菜を選んだことで、東京が水没します。そもそも昔は海だった、というのは間違いではありませんが、あれだけ海の水位が上がれば、全世界規模の災害になっているはずです。いったい、地球上の陸地の何%が水没しているのでしょうか。少なくとも、東京の都市機能は壊滅的な打撃を受け、麻痺していることでしょう。とてもではありませんが、暢気に「引っ越したんですね」なんて言っていられる状況ではありません
一組のカップルが成就する過程を描いているのが本作です。「君の名は。」を観たときにも感じたことなのですが、この小さなボーイミーツガールに、隕石や降雨のような大災害は必要なのでしょうか。私の見解としては、無理をして話を大きくする必要を感じません
いっそ、これが異世界であったなら。あるいは八つ墓村でもいい、なにかしらの神秘を肯定できる下地があるならまだしも、そもそも現代日本の東京でやるべき話なのかという時点で疑問を感じます
映画館を出た後に最寄り駅まで歩きながら友達と感想戦、もとい酷評をしていると、後ろから女性の声が聞こえてきました。いわく「オタクがなんて言うかなんてどうもいい」だそうで、これは端的にこの作品の性質を表わしています。そもそも天気の子という作品自体が、考証にうるさいオタクのために作られてはいません。あれは若者のカップルたちが、デートのために観る映画です。元々からしてオタクのための作品ではない、これは意図して作っているのでしょう。つまり一言で表わすなら、これはオタクである私にとっては「Not for me.」な作品だということです
私個人として、新海誠監督に対して、壮大なスペクタクルを入れていない「言の葉の庭」のような地味な作品作りを望んでいますが、おそらくこの願いが成就することはないのでしょうね
以上、ご清覧ありがとうございました
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