わたしの魔術コンサルタント
*以下は『わたしの魔術コンサルタント』の感想ですので、読了した後にご覧ください
友人の気になる一冊だとのことで、このたび『わたしの魔術コンサルタント』を代読しました
初めは、作品を娯楽として消費し、全体の感想を述べるに留まるつもりでいました
けれども、読み進めるうちに気になる部分のメモを取ってしまい、気がつけば添削の真似事などをしていました
このように批判的に、言い換えれば真面目に本を読んだのは、学生の時分にした課題以来のことです
Ⅰ
P.13、11行目、「まるで群衆に迷彩する密命でも帯びているかのように特徴がないのが特徴といったところだ。匿名28号」
モブキャラを匿名28号と呼称する場面です
これは齢27を数える私などには、鉄人28号からくるあだ名であることは明白です
しかし、メインとなる読者層であろう中高生に鉄人28号が通じるのかは疑問視するところです
P.36、2行目、「人を未開の蛮族みたいに言わないでくださいよ!」
言わんとするところは伝わるのですが、未開の蛮族という表現はいささか差別的な色合いを感じます
P.36、16行目、「おれは慣れているから両手が買い物袋でふさがっていても今さら苦もなく階段をのぼる」
一文が長いので、句読点で区切るのが適当でしょう
P.39、5行目、「おれはキッチンスペースに買い物袋をおろすと真っ先にストーブに手のひらをかざす」
一文が長いので、句読点で区切るのが適当でしょう
P.40、10行目、「『助かりました』とヒナコは自分の肩を抱きながら動揺を落ち着けていた」
あまり、私の耳に馴染みのない表現です
動揺する対象を、この場合は「動揺する自分を落ち着けていた」と書いた方が自然であるように思われます
あるいは「動揺を静めていた」、あたりの表現になるのでしょうか
P.42、9行目、「おれは諦めてエプロンを摑み、食事の準備にとりかかろうとする」
呪文の詠唱ならまだしも、日常の場面で旧字体の「摑」を使う必要性が感じられません
P.69、9行目、「我が黒瀬魔術コンサルティングの依頼人への必須質問をおれは投げかける」
そのままでも意味は通じるのですが、「必須の質問」あるいは「必須となる質問」とした方が、よりのどごしがよくなるように思われます
P.69、11行目、「魔術を好む好まざるとも才能は生まれついてもたらされる」
この場合、「好むと好まざるとに関わらず」と表現した方が一般的でしょう
P.112、12行目、「ヒナコが曇天を切り裂いたおかげか。頭上には星空が広がっている」
雲の流れる速度は時速40~50キロ程度とされるので、それが原因だとは考えにくいです
P.151、2行目、「まるで一文字ずつキーボードを打ちこむようにおれの名前を唱える少女は、そのまま瞑想するように長く目を閉じた」
主人公は、キーボードを打鍵する感覚を知っている世代の人間でしょう
けれども昨今は、就職するまでキーボードとは無縁だった、などという話すら聞かれる時代です
メインターゲットとなるであるスマホ世代の中高生に「一文字ずつキーボードを打ちこむ」感覚が理解されるのか疑問に思います
P.154、2行目、「わざわざ自らの魔術を披瀝する十条寺飾は『だから、べつに新しい指導なんて必要ない』とぞんざいな声で拒否する」
「披瀝」という表現がいささか硬いので、ありふれた「披露」の方が読みやすいように思いました
P.165、4行目、「外を出るにも一々チェックされるから自然と外出の頻度は減っていった」
これは伝聞なので「らしい」や「ようだ」を用いて、伝聞であることを強調した方がよいかと思われます
以上、ご清覧ありがとうございました
ご意見・ご感想をいただければ幸いです